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El Mundo

世界88カ国に訪れた備忘録。

【フランス】「学歴フィルター」ならぬ「名前フィルター」!?仏の驚く就職差別。

France 世界一周 Japan

フランスの就職差別について意見を述べてみます。

 

◆はじめに

 

最近世間を騒がすヨーロッパの「難民」問題。

中東諸国とヨーロッパ諸国を旅した僕からしたら無関心ではいられないことだ。

最近ではNHK BSのワールドニュースで英BBCや仏F2など海外ニュースを極力見るようにしている。とくにF2は毎朝見るほど僕の生活の中では欠かせない。

 

先日、というか今日なのだが録画したNHK BSのフランスのイスラム社会を追うドキュメンタリー「ドキュメンタリーWAVE▽苦悩する仏イスラム社会~テロ後 何がおきているのか~」を見た。

www.nhk.or.jp

 

そこで目を疑うような一コマがあったので、ご紹介する。

 

はじめに断っておくが、

僕はイスラム社会に精通しているわけでもなければ、フランス社会について知っているわけではない。フランスに2回行ったことがあるただのツーリストだ。

フランス語はできないし、イスラム教徒といつも話しているわけではない。

あくまでも番組を見た「一人の大学生」の意見だと思っていただきたい。

 

◆「学歴フィルター」ならぬ「名前フィルター」!?

 

 

番組の途中で出てきた「フランスの就職差別について」というところについてだ。

とある調査結果で「名前フィルター」に関する内容が出てきた。

 

www.institutmontaigne.org

 

 フランス語ができない。なのでTVで見た翻訳を元に、内容について簡単に記す。

就職差別に関する調査結果に関してだ。

「①Esther」「②Dov」「③Nathalie」「④Michel」「⑤Samira」「⑥Mohammed」の6つの名前で書類を出し、どれくらいの割合で審査を通過し、面接にいけるのかということについて。

宗教は①②はユダヤ教、③④はカトリック、⑤⑥はイスラム教徒だ。

 

f:id:Kouhei50:20160112220340p:plain

 

この結果によると①~⑤の名前はさほど差がなく、4~7回書類を送れば面接1回できるという割合。しかし⑥のモハメッドという名前は20回出してようやく1回の面接。この歴然とした差は何なのだろうか。

 

日本ではよく「学歴フィルター」という言葉が使われている。僕も昨年就職活動を行っているので巷でよくきいた。確かにある。でも「名前フィルター」は初めて聞いた。名前で差別されてしまったらたまったもんではない。

今の日本では「ほぼ」ありえないことだけど、フランスの一部では実情としてあるようだ。宗教を連想させるだからだろうか。

 

民主主義とは思えないような実情。平等というものはない。学歴は分からなくもない、でも名前は僕にとっては分からない。

 

◆差別される人たち

 

このドキュメンタリーを見ても、他のドキュメンタリーや記事を見ても「差別」という言葉は必ず1回は出てくる。

フランスは「人権」の国ではないのか、と思ってしまうほどだ。実際フランスは「差別」の国ともいえる。

 

アジア系、アフリカ系、アラブ系。マイノリティの人たちが差別されている。観光客もだ。前にGACKTがレストランで奥に案内されて憤りを感じていたことがあったけど、当たり前にようにある。

 

僕はフランスで差別を受けたことは多分ない。自分が感じていないだけかもしれないけど。でもGACKTの例のようにちょくちょく話は聞く。

これがフランスの社会なので、僕みたいな外国人があーだこーだ言っても仕方がないことではある。とはいえ、「人権」の国とは思えないほどだ。

 

今「イスラムフォビア」(イスラム恐怖症)がフランスに限らず、多くのエリアで広がっている。これはイスラム教徒を見ると恐怖や不安、憎悪などの情動が発生してしまうことだ。あるNPOによるとフランスではシャルリー・エブド紙襲撃事件から1年で、この数は3倍増加したそうだ。上記のドキュメンタリーでは、リヨンの広場をただ歩いていただけの少年が、若者数十人に暴行されたということも紹介されていた。

 

この暴行は度が行き過ぎている。下手すれば死んでいたかもしれない。殺人未遂だ。人を攻撃するという点ではテロと変わりない。襲った側と襲われた側、その場で何が起きたかは僕は現地にいなかったので、細かいことは分からないし、彼らの背景も知らない。しかし人に暴力をふるう時点で最低だ。

 

◆責任のある行動は無理か

 

とはいえ、「移民」や「難民」を支持するわけではない。2016年の年越し、ドイツのケルンではとんでもない事件が起きていた。

 

www.afpbb.com

 

似たような暴行事件はケルン限らず、他のヨーロッパの国でもあったようである。

犯人がイスラム教というわけではないだろうし、もちろん外国人ではない人もいるだろう。しかし「移民」や「難民」が含まれているのも現実だ。

 

宗教関係なく人として「暴行」は最低である。被害者が後々どのようなダメージを受けるか、そして日々の生活に影響が出ること、重くのしかかること。自分の快楽を求めて、人のことを考えない最低行為だ。

それゆえ難民を制限したり、受け入れるなという意見が出てくるのも仕方がないことではある。「連帯責任」だ、一つイメージが悪くなるとどんどん悪化してくる。

迷惑するのは地元民ではなく、そのコミュニティに溶け込んでいる「難民」や「移民」だろう。彼らからしたらたまったものではない。

 

この暴行事件に関わった人の中でこんな言葉を放ったクソ野郎がいたみたいだ。

「俺はメルケルに招待されたのだから、丁寧に対応しろ」。

 

メルケル同様、胸糞が悪い。強制送還したいぐらいだ。何さまのつもりなんだと思ってしまう。

前述のドキュメンタリーではイスラム教徒の方がいいことを言っていた。

 

住んでいる社会のルールに従うのがイスラムの教え。」

 

これは郷に入っては郷に従え、ということだろう。これは国際社会では特に大事だ、前々からそこにいた人たちの習慣や文化を踏みにじってはいけない。同調が大切である。

しかし、一部の「移民」や「難民」はこれに従わない。ヨーロッパではロマが問題になっているけど、これと同じだ。宗教や慣習も違うので合わすことができず、結果排除されてしまう。

 

無理に合わせていく必要はないのだ。徐々に溶け込んでいけばいいのである。それも分かっているはずだ。でも従わない。そして汚す。これは「出ていけ」と言われても仕方がないことだ。

 

「難民」=「かわいそう」というイメージが日本ではあるが、そんなことはない。

もちろん生きるため、命からがら国から逃げてきた人もいる。昨年の終盤では水死体で発見されたシリア人の子どもの写真が世界を騒がした。以前ノルウェーが制作したドキュメンタリーを見たとき、海の上での悲惨な状況や国に強制送還されて逮捕されるなど、辛い現状を垣間見た。

でも「難民」がすべて戦争や紛争から逃げてきた人なのだろうか。安全なところに住んでいるのに「難民」に混じって「移民」として来ている人もいるんではないだろうか。

 

他のドキュメンタリーで難民を追う取材を行っていた。僕はその光景を見て「一部」ではあると思ったけど、恵まれた環境に驚いたのだ。

冷暖房完備の綺麗なバス送迎、暖房がついた清潔な寝床、三食付、携帯の充電も可能、現地警察やNPOが世話してくれる。これが現状なのだ。

 

これを、その国の国民の税金でやってるわけだから、そこの国民からしたら騒ぎ起こされたらたまったもんではない。「恵まれた環境」だからこそ、移動させてくれるのが「当たり前」となり、感謝も何もなく上記のような「暴行」や慣習を無視したりしてしまうのではないだろうか。

 

数週間前のフランスでの選挙でも極右のルペン党首が率いる「国民戦線」のちょっとした躍動があった。ドイツでは極右の「ペギーダ」が運動している。トランプも排除宣言を行った。市民レベルではなく、政界レベルでも。今後もっと白熱するだろう。

 

◆日本は受け入れるべきか

 

この「難民」問題。「日本も受け入れろ」という意見をちらほら聞く。

僕はどちらでもないので、あーだこーだ言うつもりはない。だけど受け入れる人は責任をしっかり持ってほしい。

 

彼らと馴染めるのか、彼と一緒に生活できるのか、彼らと問題に向き合えるのか。その覚悟はあるのだろうか。

きっと「受け入れろ」と言っている一部の人は、難民が皆エリートで、現地の慣習に従って、平和な人たちなんだろうと思っているだろう。それは違う、このヨーロッパの現状を見たら明らかだ。日本側がしっかりと厳選すればそういうことはできるけど、難しい話だ。

 

それ以上に僕が怖いのは、「難民」の人が日本社会に馴染めるかどうかということである。先日、こんな記事があった。

www.huffingtonpost.jp

 

5行目にこんなことが書かれている。

「言葉の壁や文化の違いもスウェーデン社会に溶け込むうえで重大な障害になっていると考える人もいる。」

 

その国にはその国にあったやり方がある。政治や文化、芸能など。だから他国が真似しても上手くいくというわけではない。

もちろん現地に合うシリア難民もいるはずだ、しかし合わない人もいる。

 

ではここで考えてみよう。果たして「難民」は日本の生活に合うのだろうか。

日本語、少ないムスリムコミュニティ、宗教が違う、食文化・・・etc。

僕は合うとは思えない。「無縁社会」と言われている今、彼らと人間関係を続けることができるのだろうか。受け入れる体制云々より、こういう「環境」が大事になってくる。

 

なので難民を「受け入れろ」という人は、受け入れる時点ではなく、受け入れた後、彼らが馴染んでしっかりと自律した生活を送れるまで見届ける必要があるのだ。それを考えているのか。

「環境」という面で見たら、日本は平和だろう。人手も必要だから働き手になってくれるだろう。だけどそれよりも合う・合わないが大切であろう。僕はそう考える。

 

◆おわりに

 

これから難民問題は白熱していくはずだ。僕も記事やニュースを見て知っていこうと思う。さすがに現地まで赴くほどのお金はないので、限られたメディアからの情報にはなるが、情報を得ないよりかはマシだ。

 

長々と「就職差別」や「難民」に関して書いてきた。あくまでも一人の大学生の意見だ。戯言だと思ってほしい。同意見の人もいれば「いや、これは違う」と思う人もいるだろう。コメントいただければ幸いだ。僕も勉強になる。