El Mundo

世界89カ国に訪れた備忘録。

【旅コラム】色褪せぬ旅の匂いと思い出。

▼移転しました。自動的に以下のアドレスに移動します。▼

 
旅コラムです。
 

あれから7年

 

そろそろ海外一人旅を始めた時から7年が経とうとしている。つい3,4年前のことだと思っていたけど、ここまで月日が経過したとは実感にない。
 
初めて行ったのが2010年の韓国、長期が2011年のトルコ&ヨーロッパだった。
中でも大学に入った最初の夏休みに催行した、トルコ&ヨーロッパは昨日のことように情景が出てくる。
 

初めてのバックパッカー

 
 
出発前夜のドキドキとワクワク。何回チェックしたか分からない荷物リスト。何が必要で何が不必要なのか全く分からなかったから、パンパンに荷物詰め込んでいたのが懐かしい。
 
当日。成田まで行く道でも、地球の歩き方を読み返し、イメージトレーニングしてたな。
2011年の夏はまだスマホを持っていなくて、ネットが繋がるのはパソコンだけだった。
だから下調べも気軽ではなくて、少し面倒だった。だから紙に残したり、メモ書きまくってとっさの時に判断ができるようにしていた。
 
往復はアエロフロートを使った。カウンターで並んでる時も、何もやましいことがないのにドキドキしてた。飛行機乗った時も、「英語通じるかな…」など今となってはかわいい悩みを抱えていた。
 
イスタンブールに着いてから、宿まで向かう道中。ラマダン中の夜だった。
だから道には人が溢れて、トラムもほぼ満員に近かった。6年経ってもトラムから眺めた景色は忘れないし、全てが初めて見る光景だから、何だかワクワクしている自分がいた。
 
今でも初めて行く国や土地は、ドキドキ&ワクワクしている自分がいる。空港に着いて、宿まで向かう瞬間。そして荷物を降ろして、街に繰り出す時。いくつになっても、ここの気持ちは変わらないだろうなって思う。
顔は平然としているけど、内心「大丈夫かな」「これ何だろう」「こんなのあるんだ」と思ったりして、目があちこちに向いている。
 
だから、イスタンブールに着いて、宿に荷物下ろした瞬間に少しホッとした自分がいた。
今は亡き「Tree of Life」という日本人宿に宿泊していた。初めて出会った旅人が、同じ大学の先輩で一緒に夕飯を食べに行ったけど、そこでの「景色」を忘れることはない。
 

旅の匂い

 
外の半テラス席に座ったけど、石畳を走る車の音や店から漂う香辛料の匂い、大声で話すトルコ人の電話…
 
日本で街を歩いている時、ふとその「景色」を思い出すのだ。「あ、これはイスタンブールの!」「この匂いはインドのバラナシで…」「香水が中東くさいな」などなど。
 
「現地現物」という言葉があるように、決して写真や話だけでは伝わらないことがある。
現地の空気は絶対に伝わることができない。それを感じることが、旅の魅力の一つなのかもしれない。
 
「匂い」は記憶に残りやすい。だから香辛料や体臭、香水など頭の中に刻まれていき、ふとした瞬間に思い出すのだ。
旅を多くすることでその匂いは蓄積されていく。すると東京でプチ世界旅行ができたりしちゃう。
 

旅の音

 
 
旅では普段の日本での生活よりも五感が働く。「音」の部分でも日常では聞こえることのない音が流れてくるので、耳に残りやすい。
 
イスタンブールの初めての朝。僕は朝5時頃に起きた、いや起こされた。
朝「うぉーーーーーん」とスピーカーから流れてくる音に「わお!」と目が覚めてしまった。
それはモスクから聞こえるアザーンであり、他の旅行者は慣れてるのか熟睡している。
 
今となってはアザーンが心地よく聞こえるのだが、この時は少しばかり「騒音」と思ってた。
すっかり目が覚めたので、朝焼けの中、イスタンブールの街を歩いた。
 
夜は人だらけだったのに、朝は殆ど歩いてなく、清掃の人のみ。車も少なく、トラムが音を立ててるだけだ。
 
静かなイスタンブール、宿からブルーモスクまでは近いので、そこまで行って見た。
ここも人がいない、鳥と自分だけ。ブルーモスクを一人占めしているような感覚だ。
 
上述にも記載した「匂い」。朝は昼や夜とは何か違う。「朝だな」という匂いなんだけど、言葉で美味く説明できない。
 
そして「音」も「朝だな」ていう音なんだけど、これも美味く説明できない。
30分ぐらい散歩して宿へ戻った。朝6時前、誰も起きてない。
 
当時はスマホも持ってなかったので、何をすることもできなかった。
宿のバルコニーに座り、青くなっていく空を見つつ、通りをボーッと眺めていた。
 
特に何かあったわけではないんだけど、日本でのふとした「音」でこの光景が頭の中に出てくることがある。
 
それだけイスタンブールでの経験は自分の好奇心を震わせていたのだろうなと感じた。
 

旅の「青年期」と「更年期」

 
 
沢木耕太郎の『深夜特急』の中で、旅の「青年期」と「更年期」という話題が出てきた。
人生と同じように旅も「年」を重ねていくと、見える景色も違ってくる。
 
イスタンブールでドキドキ&ワクワクしていた僕は「青年期」だった。それが旅をするごとに変化が生じてきた。
 
今までは新鮮に見えてた景色も「あー」と特に感動を覚えなくなってきた。これが「更年期」なのだろう。
勿論初めて行く土地では、「青年期」のように最初はなるが、慣れてくるに従い、日々の生活と変わらないような行動になってくる。
 
この「更年期」がずっと続くのだろうか。70歳ぐらいになったらまた「青年期」に戻るのかな。
 
 

旅はやめられない

 
 
社会人になっても旅は止められない。世界一周した人とか、日本に帰ってきてからそれっきり旅に出てないところを見ると「なんでなんだろう」と感じてしまう。
まだまだ知りたい場所や見たい景色があるし、その土地の空気を肌で感じたい。デジタルな時代になっても、現場には勝てない。
 
航空券買う→現地を調べる→ワクワクする→少し倦怠期に入る→1ヶ月前になると待ち遠しくなる→空港行くまで超ハッピー→現地到着してドキドキな気分→荷物を置いて街を歩いて、アドレナリン全開。これが面白いのだ。
 
多分一生旅はやめられないだろうな。全部の国行こうが、また再訪したい場所はあるので、死ぬまでし続けると思う。どんな旅でも新たな発見はあるのだ。
 
さあ次の目的地は決まっている。今からワクワクとドキドキが止まらない。